紅茶の日とは

今日、11月1日は紅茶の日。

この紅茶の日の由来について、間違った説が流布してしまっているので、ちょっと書いておきます。

まず、大黒屋光太夫がエカテリーナ二世のお茶会に招かれたという資料は有りません。
つまり、そんな史実は有りません。

そもそも日本紅茶協会はそんな史実が有るとは言っていません。
ま、行き過ぎてポスターに「史実が有る」って書いちゃったことは有りますが。^^;;

現在の日本紅茶協会の解説はここに有ります。
https://www.tea-a.gr.jp/knowledge/tea_day/

ここで、「とりわけ1791年の11月には女帝エカテリーナ二世にも接見の栄に浴し、茶会にも招かれたと考えられている。」と書かれているように、これはあくまでも「推定」です。史実では有りません。
しかも、制定されたのは1983年(昭和58年)ですから、1983年当時の推定です。

大黒屋光太夫に関しては、帰国後、徳川幕府が桂川甫周に大黒屋光太夫からの聞き取りを纏めさせた『北槎聞略』という資料が有ります。
これを端から端まで読みました(現代語訳版ですが)が、お茶は、お土産に貰った事が3回ある(3人から貰ってる)だけです。
茶会に招かれたという記録も有りません。

もちろん大黒屋光太夫の資料は『北槎聞略』だけではなく、生まれ故郷の鈴鹿市若松辺りとか、その他にも残っていて、それらを纏めて 山下恒夫氏が、『大黒屋光太夫 資料集 1巻~4巻 2003年刊』としてまとめていらっしゃいます。
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/search?searchCode=SIMPLE&lang=jp&keyword=%E5%A4%A7%E9%BB%92%E5%B1%8B%E5%85%89%E5%A4%AA%E5%A4%AB%E5%8F%B2%E6%96%99%E9%9B%86

この資料集が出たのは2003年で、日本紅茶協会が紅茶の日を決めてから20年後の事ですから、新に判明した事実も有るでしょう。
というか、日本紅茶協会が紅茶の日を決めた時点では、大黒屋光太夫の研究も進んでいなかった時期で、一般には、『北槎聞略』を元にして 井上靖氏が書いた小説『おろしや国酔夢譚』くらいしか無かったんだろうと思います。

これは私の推測ですが、紅茶の日が決められた当時 『おろしや国酔夢譚』を元にして「最初に紅茶を飲んだ日本人は誰か分からないけど、公式な茶会という事なら大黒屋光太夫じゃ無いだろうか?」「そしてそれは11月くらいじゃないかだろうか。」と考えて決められたのだと思います。
もしそうだとして、この推定が全く有り得ない話かどうかと言えば、まぁまぁ有り得る話だと思っています。

というのは、大黒屋光太夫は非常に聡明は人物で、ロシアの皇太子に招かれたり、ロシア上流社会で大人気だった人物だからです。
大黒屋光太夫以前にも日本からの漂流民は多く流れ着いていて、その漂流民が編纂した『露和辞典』まで作られています。
そういった漂流民が紅茶を飲んでいない事は考えられませんので、大黒屋光太夫が紅茶を飲んだ最初の人物だという事も有り得ないレベルの話です。


先ほどの『大黒屋光太夫 資料集 1巻~4巻』を纏められた山下恒夫氏は、その資料を基に『大黒屋光太夫』小説を書かれています。
小説という型式は取っていますが、中を読んでみるとその資料集の要約版と言ってもいいもので、多くの資料が引用されているものです。

これだけの資料集を纏められた山下恒夫氏の書かれた本ですから、ここに書かれたものは史実と言っても良いレベルだと思います。
そしてこの小説には、10月20日にエカテリーナ二世からお召しが有り、エカテリーナ二世に会った事が書かれています。そして「この日が光太夫にとって、エカテリーナ二世の慈顔を拝する最後の日となった。」と書かれています。
つまり、大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に会ったのは、10月20日が最後で、11月にエカテリーナ二世の茶会に招かれる事は有り得ない事になります。

ただ、日本紅茶協会のホームページに書かれた「大黒屋光太夫が日本人として初めて外国での正式の茶会で紅茶を飲んだ最初の人として、この日が定められた。」という部分に関しては、有り得ない話では有りません。
前にも書いたように、大黒屋光太夫はロシア王室を始め、ロシア上流社会に深く入り込んだ人物です。
この時代のロシアは紅茶の普及が進んだ時期でも有ります。
そして帰国のお土産に3人からお茶を送られているという事は、大黒屋光太夫自身がお茶好きだったと考えられます。
更にこの頃は帰国に向けて大黒屋光太夫は多くの送別会に招かれています。

どこまでが「公式な茶会」なのか? という問題が有りますが、帰国に際して公式な茶会に招かれている可能性は否定できなくて、もし招かれているとしたら、その時期が10月末から11月初旬だった可能性は高いと思われます。

これはあくまで「推定の話」です。

それも紅茶の日が制定された1983年時点での推定の話ですから、「その頃はそう考えたんだね。」でいいんじゃないでしょうか。

間違った情報を広めるのは良い事では有りませんが、正しい事実を知った上で、それはそれとして楽しめば良いと思っています。