リンアンについて

ご挨拶

尾張という地方は、生活の隅々までお茶が浸透している地域です。
特に尾張西部は田植えで、「お茶にしようか。」と言っておもむろに抹茶を点て始めるほどの地域。旧家なら庭に茶室は当たり前。座敷で庭を眺めながらの煎茶のお手前も昭和初期には日常のことでした。
nobuyuki3私の育った尾張東部もそんな文化の根付いた地方で、いつかきちんと習いたいと思っていた茶の湯を始めたのは結婚後のことでした。
インターネットも無い時代。私はパソコン通信で茶の湯の情報を探し、仲間に誘われて茶の文化フォーラムに立ち上げに参加するようになっておりました。
そこで話されていたのは、「ダージリンのどこそこ茶園のファーストフラッシュが。」という会話。
大学時代に紅茶の世界にはまった私はフォートナムメイスンの紅茶を買い集め、キッチンに専用棚を作りつけ、「今日はロイヤルブレンド、今日はクイーンメリー。」と楽しんでいました。が、私にとってその会話は「もう、紅茶の世界はそこまで行っているのか!」という、新鮮な驚きの世界でした。
ところが、東京や大阪にはそんな紅茶の専門店がたくさん有るのに名古屋にはチェーン店以外であるのはえいこく屋さんくらいしかありません。
そのえいこく屋さんの店主:荒川さんは実は凄い方です。
ダージリンの茶園のマネージャーで、「MR. ARAKAWA」 を知らなければもぐりと言ってもいいでしょう。
実は日本の紅茶屋さんで、ダージリンなどの紅茶の産地まで出かけて紅茶の輸入を始めたのはえいこく屋の荒川さんが最初です。
それまでは商社が仕入れ、それを専門店が販売していたのです。それでは思うような紅茶を仕入れられないと、ダージリンまで行き始めたのはえいこく屋の荒川さんが最初の方なのです。
しかし当時、飲食のコーナーはインド料理がご専門で、紅茶は楽しめるものの、ゆったりとというわけにはいきませんでした。
「ならば私がやろう。」 と、立ち上げたのが紅茶専門店 TEAS Liyn-an なのです。

当時、えいこく屋さんのほかに、「西のムジカ、東のタカノ」と呼ばれる堂島ムジカさん、神保町のTEAHOUSE TAKANOさんを始め、ティージュさん、リーフルさん、ガネッシュさんなど、独自に紅茶を輸入している専門店は各地にありました。

「世界最高の紅茶を輸入しよう。」と競っていらっしゃるそれらのお店からサンプルをいただき、さらにその中から選べば、最高の紅茶を手に入れる事は難しい事ではありません。
であれば、あとは紅茶を淹れる技術だけの問題です。

実は私は、中部工業大学工学部機械工学科の出身です。
中部工業大学を出て、電機メーカーで22年間、機構開発を行ってきた根っからの機械技術者:エンジニアです。

エンジニアの視点を持って、「なぜなのか?」を追求すれば、紅茶を美味しく淹れる事は難しいこととは思えませんでした。

ですから私はリンアンを始めました。

リンアンを始めるにあたり、『アッサム紅茶文化史』『茶の民族史』『茶原産地紀行』等の著書で知られる元愛知大学教授:豊茗会会長の松下智先生に付いて中国雲南省西双版納へお茶の原産地調査に、紅茶の文化を知るためにイギリスへアフタヌーンティーの体験の旅へ。そして紅茶の産地を知るためにスリランカの茶園へと、紅茶に関係する3ヶ国を回ってきました。

そして3ヶ国を回った後には、しっかりと紅茶の輸入ルートが出来上がっていました。

Nobuyuki02エンジニアの視点を持って紅茶の世界を見てみると紅茶の世界には信じられないような常識が広がっていました。
それをひとつづつ実験し、データを取り、最後には茶業技術協会での発表まで。
この発表以外にも、紅茶の歴史にも、文化にも、おかしな事がいっぱい有りました。
それをひとつづつ、1世紀前、2世紀前の原書を探し、調べ上げた事実もたくさんあります。
そんな事をもとにしたリンアンの紅茶教室は、他では聞けないデータ・原書を元にした紅茶の本当のお話をさせていただいています。

でも、リンアンで楽しんでいただきたいのは、そんな難しい話でも、堅い話でもありません。
お茶の心は茶の湯でも煎茶でも紅茶でも全く同じです。
お客様にゆったり楽しんでいただくおもてなしの心。

美味しい紅茶を提供するのはお店の役目。その為には産地までも出かけますし、実験も繰りかえします。

でもお客様に楽しんでいただきたいのは、お友達との楽しい時間と空間です。
そこに美味しい紅茶と美味しいお菓子があればいい。

そんな思いでリンアンは皆様をお待ちしています。