TITLE:  Liyn-an TEA TIMES No.197  紅 Liyn-an TEA TIMES No.197  紅茶の日特集 『大黒屋光太夫 Liyn-an TEA TIMES No.197  紅茶の日特集 『大黒屋光太夫は どんな紅茶を飲んだのか』Errors-To: mailmag-0000013455@error.mag2.com
DATE : 2005-10-23 10:44:10
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|Ooo.....oooO☆   紅 茶 通 信   ☆Oooo.....ooO|
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|       Liyn−an  TEA  TIMES   No.197         |
|                     by TEAS Liyn-an      発行 2005/10/23  |
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| ◆11/1は紅茶の日 紅茶の日エッセイ                         |
|                  大黒屋光太夫は どんな紅茶を飲んだのか ◆ |
|                                                           |
| ◆紅茶の日限定『ロシアンキャラバン』 11/2〜11/6 実店舗 ◆|
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| ◆10/23〜11/1 紅茶の日 プレゼント  オンライン版◆         |
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|                  大黒屋光太夫は どんな紅茶を飲んだのか ◆ |
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11月1日は、皆様おなじみの『 紅茶の日 』

どうして11月1日が紅茶の日と決められたのか。
それは日本紅茶協会のホームページから引用してみましょう。
http://www.tea-a.gr.jp/dic/day.html

> 海難にあってロシアに漂着した日本人、伊勢の国(現在の三重県)
> の船主、大黒屋光太夫他2名は、ロシアに10年間滞在せざるを得
> なかった。
> 
> 帰国の許可を得るまでの辛苦の生活のなかで、ロシアの上流社会
> に普及しつつあったお茶会に招かれる幸運に恵まれた。
> とりわけ1791年の11月には女帝エカテリーナ2世にも接見の栄に
> 浴し、茶会にも招かれたと考えられている。
> 
> そこから、大黒屋光太夫が日本人として初めて外国での正式の茶
> 会で紅茶を飲んだ最初の人として、この日が定められた。 
> 
> この推定に基づいて、日本紅茶協会が1983年(昭和58年)に
> 11月1日を「紅茶の日」と定めた。 

ということなんですね。


大黒屋光太夫は、宝暦元年(1751年) 伊勢 南若松村(現:鈴鹿市若松)
に生まれ、後に大黒屋の養子となり、大黒屋をついで船頭となりま
す。

大黒屋光太夫は、神昌丸で、天明2年(1782)12月13日伊勢白子浦を
出航し、遠州沖で嵐に遭い、漂流してしまいます。
半年後にアリューシャン列島アムチトカ島に流れ着いた光太夫は、
オホーツク海を超え、真冬のシベリアを横断し、イルクーツクで植
物学者のラックスマンと運命的な出会いをします。

ラックスマンは何とか光太夫を日本に帰そうと尽力し、寛政3年(1791)
6月28日、当時の女帝エカテリーナ2世に謁見を許され、3か月後の
9月29日、とうとう帰国の許可が出るのです。


さて、11月に光太夫はエカテリーナ2世から茶会に招かれたのか?

これを色々と調べているのですが、残念ながら紅茶関係の資料の他
に、光太夫がエカテリーナ2世から茶会に招かれたという資料は、
どこにも見当たりません。

では、光太夫はエカテリーナ2世から茶会に招かれなかったのか?
というと、そういった資料は更に見つかりません。

実はエカテリーナ2世は無類のコーヒー好きだった?
と言う話もあるのですが、それはいったん置いておいて、大黒屋光
太夫がロシアで紅茶を飲んでいないわけは有りませんから、光太夫
が飲んだであろう紅茶とは、いったいどんな紅茶だったのか?
ここで少し、ロシアのお茶の歴史を紐解いてみましょう。


アメリカ・ワシントンDCに、ロシア政府公認のロシア文化センター
が有ります。
そのホームページ http://www.frccusa.org/に、RCC Collection と
いうページがあり、ロシアのお茶についての若干の説明があります。

その説明のよれば、ロシアに公式にお茶が渡ったのは、1618年中国
の皇帝がロシアの皇帝アレクシスへ贈ったお茶が最初だそうです。

1618年以降、お茶はどんどんロシアに運ばれ..
というわけではなく、さらに歴史を紐解いてみると、1618年、中国
は明の時代、時の皇帝は万歴帝。

ロシアから派遣された使節イヴァンは、万歴帝の国書を持ち帰った
ものの、万歴帝に謁見することは許されませんでした。
ロシアに渡った最初のお茶は、この時に持ち帰られたものでしょう。

この頃、ロシアはまだシベリア全土を掌握していません。
当然、ロシアから中国へのシベリアルートは整備されていません。
そんな事もあって、以後約40年、中国との行き来は途絶えます。

1656年、中国との交易を求めるロシアの使節団が北京を訪れたりし
ているのですが、その間にシベリア進出を果たしたロシアと中国の
間では国境をめぐる紛争も勃発し、正式な国交は、1689年、清の康
煕帝との間で交わされたネルチンスク条約まで待つことになります。

この条約により、ロシアと中国間の正式な貿易が始まり、一年置き
にロシアの官営キャラバン隊が北京を訪れるようになりました。

ロシアのお茶は、このキャラバン隊によって運ばれ、今でも『ロシ
アンキャラバン』というブレンド名にその名を残しています。

このロシアンキャラバンによるお茶の輸送は、ロシア文化センター
のサイトの記述によれば、エカテリーナ2世の時代の終りには、千
頭ものラクダによってお茶が運ばれ、ロシアは世界的なお茶の消費
国だったようです。

という事であれば、大黒屋光太夫がお茶を飲んでいないわけは無い
ですよねぇ。やっぱり。


一方、この時代の極東情勢を見てみると、既にベーリング海の島々
にはロシア人が入植していましたが、ロシアは極東情勢を公表しな
かったため、イギリス艦隊やフランス艦隊などが盛んにこの地域の
探検を始めていました。

まさに西欧列強の目が極東に向いていた時代だったのです。

そこに現れたのがアリューシャン列島に流れ着いた大黒屋光太夫。

エカテリーナ2世は光太夫から日本の情報を仕入れると共に、彼を
日本に帰して、日本との通商を求めることを企てます。

光太夫の謁見は6月28日、帰国の許可が出るのは3か月後なのですが、
既に6月の謁見の時には光太夫を帰す準備をさせていたと推定されて
います。

コーヒー好きのエカテリーナ2世が光太夫をティーパーティーに招
いたかどうかは判りませんが、お茶の輸入量や時代背景、そして聡
明な光太夫がロシアの貴族社会の人気者になっていた事などを総合
して判断すれば、「誰の茶会にも招かれていない。」と考える方が
不自然でしょう。


大黒屋光太夫は帰国後、ヨーロッパにもその名を知られていた医師、
桂川甫周によって事情聴取を受け、その記録は『北槎聞略』として
まとめられています。

私はこの『北槎聞略(の現代語訳版)』を完全読破しました。
そこには『茶』の文字は3か所に出てきます。
それは全て帰国の土産として貰ったお茶の話です。それも光太夫が
お茶好きだった証なのかもしれません。



さて、本題に戻って、その当時ロシアンキャラバンで運ばれていた
お茶は、どんなお茶だったのでしょうか。

アメリカの Adagio Teas社のサイトのこのページの記事によれば、1770
年頃までは、主に団茶(輸送しやすいように固めて固形化したお茶)
を買っていたようですが、1775年頃からは、現在のようなリーフティー
(散茶)が主流になっていったようです。
http://www.teamuse.com/article_001202.html
(画像は何故か、日本の宮島 ^^;)

この当時、中国から海路でイギリスへ運ばれていたお茶の多くは、
『 BOHEA 』と呼ばれるお茶でした。これば、「ボヒー」と発音され、
岩茶で有名な福建省・武夷山のお茶だということが、ほぼ確実視さ
れています。

光太夫がロシアにいた頃にロシアンキャラバンで運ばれたお茶も、
この『 BOHEA 』か、またはそれに近いお茶だったのではないでしょ
うか。

上で紹介したロシア文化センターのサイトでは、
「Today's Russian Caravan Tea has that smoky aroma. 」 
(今日ロシアンキャラバンティーはスモーキーな香りを持っています。)
と書かれています。

福建省・武夷山に産するスモーキーな香りのお茶。
ここまで来れば、もうラプサンスーチョン(正山小種)しか有りませ
んよね。


では現在、ヨーロッパで売られているラプサンスーチョンと、ロシ
アンキャラバンの違いは何か?

それは香りの強さ。


現在販売されているロシアンキャラバンというブレンドは、ほとん
どの紅茶会社が、ラプサンスーチョンとその他の紅茶のブレンドと
なっています。

つまり、現在のラプサンスーチョンより、ほのかな香りのラプサン
スーチョン。つまり、ラプサンスーチョンの中でも薫製香ではなく、
龍眼香のラプサンスーチョンを、大黒屋光太夫は飲んでいたのでは
ないかというのが、私の推定です。


正露丸の香りにまで例えられる、現在のきつい薫製香のラプサンスー
チョンは、ウイスキーの樽を焼いてまで焚き火の香りをつけるスモー
キー好みのイギリス人の要求によって中国人が作り上げたものと言
われています。

その点、同じ蒸留酒でも、活性炭で濾過してでも、より純度の高い
ウオッカを好むロシア人が、より優しい香りの龍眼香のラプサンスー
チョンを求めたのは、当然のなりゆきだったのかもしれません。


6月28日 光太夫はエカテリーナ2世に謁見した後、何度も女王に呼
ばれ、日本の話を聞かれます。そして9月29日、とうとう帰国の許可
が出されました。

それ以後は一躍首都・ペテルブルグの有名人となり貴族社会で引っ
張りだこ。自宅で夕食を取ることは殆ど無かったそうです。

10月20日、エカテリーナ2世は光太夫を呼び、記念の嗅ぎ煙草入れ
を自ら手渡します。
これが光太夫がエカテリーナ2世との最後の謁見となったそうです。


今年の 11月13日には、大黒屋光太夫 生誕の地 三重県鈴鹿市若松に、
『大黒屋光太夫記念館』がオープンします。
http://www.edu.city.suzuka.mie.jp/kodayu/
お近くの方は、是非、訪れてみてください。

ホームページ自体も光太夫の情報が一杯ですので、是非アクセスし
てみてくださいね。


== 今回の記事で参考にしたサイト ==

ロシア文化センター(アメリカ・ワシントンDC)
http://www.frccusa.org/

Wikipedia シベリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2

地球旅行研究所 世界歴史データベース ネルチンスク条約
http://www.tabiken.com/history/doc/O/O117R100.HTM

出羽弘さんのページ ロシア人のシベリア征服
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dewaruss/on_russia/siberia.htm

オールアバウトジャパン 中国茶
失われた紅茶のルーツ、ミッシングリンク 正山小種
http://allabout.co.jp/gourmet/chinesetea/closeup/CU20050910A/


推奨参考文献
山下恒夫著『大黒屋光太夫』帝政ロシア漂流の物語
岩波新書 ISBN4-00-430879-8  定価 740円(税別) 2004年2月20日刊
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0402/sin_k163.html
http://homepage2.nifty.com/deracine/misc/reading/daikokuya.htm

この本は著名な漂流民研究家の山下恒夫氏がその研究を余すところ
無く注ぎ込んで書き上げた解説書です。
文体は小説風に近いですが、氏の収集した資料の写真なども多く、
参考文献も明らかにされ、光太夫の足跡をたどるには、現在最高の
書だと思います。
この本が、山下氏の遺稿となったことを残念に思います。

資料自体を調べたい方は、同じく山下恒夫氏の資料集が全4巻となっ
て日本評論社から出ていますので、こちらがお薦めです。
https://sslserver.sbs-serv.net/nippyo/books/bookinfo.asp?No=2052
https://sslserver.sbs-serv.net/nippyo/books/bookinfo.asp?No=2102
https://sslserver.sbs-serv.net/nippyo/books/bookinfo.asp?No=2131
https://sslserver.sbs-serv.net/nippyo/books/bookinfo.asp?No=2146



PS.ロシア文化センターの記事では「Catherine the Great」となっ
ていますが、「エカテリーナ」の英語名は「キャサリン」。
ここでは「偉大なキャサリン」つまり、これはエカテリーナ2世を
さします。

参考:はてなダイアリー エカテリーナとは
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A8%A5%AB%A5%C6%A5%EA%A1%BC%A5%CA


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大黒屋光太夫が飲んだであろう紅茶・ラプサンスーチョン龍眼香。

是非ともこれを皆様に楽しんでいただきたいのですが、実は販売用
は既に完売。お店で飲んでいただく分も殆ど残っていません。

という事で、リンアンオリジナルブレンド『 ロシアンキャラバン 』
を、この日のためだけにブレンドし、皆様に飲んでいただきます。

ロシア流に、お茶請けにジャムを少しお出しして。


ロシアでは、ジャムを砂糖代わりに入れてしまう方もいらっしゃる
ようですが、基本的にジャムはお茶請けとして、紅茶に入れずに召
し上がるのが本当のようですね。

11月、紅茶の日(から1週間)限定の『ロシアンキャラバン』
楽しみにしていてくださいね。


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| ◆紅茶の日 プレゼント オンライン版  ◆                    |
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オンラインショップの皆様には、一足早く、オリジナルブレンドの
『ロシアンキャラバン』をお楽しみいただきます。

しかも、 ★ 無料プレゼント! ★
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10/23〜11/1 の間に、『紅茶をご注文いただいた方全員』に、
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リンアンオリジナルの『ロシアンキャラバンティー』で、大黒屋光
太夫の夢を、荘厳な女帝エカテリーナ2世の世界を思い描いてみま
せんか。

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編集後記
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今回は、大黒屋光太夫一色ですね。

それにしても、11月1日がどこにも出てきません。
光太夫が最後にエカテリーナ2世に会ったのは、10月20日だし...。

何故11月1日なんでしょう?

まぁ、紅茶の日が制定されたのは今から22年前の1983年。
その当時は、今ほど大黒屋光太夫の研究が進んでいませんでした。

その頃で思い当たるのは、光太夫が帰国に際して、11月8日にエカテ
リーナ2世からの勲章と金時計を貰っている事。
この勲章は民間人に与える勲章では最高位の勲章だそうですから、
まだ研究の進んでいなかった当時には、「もし公式の茶会が行なわ
れていれば、この近辺かな〜〜〜。」という推定がされたんでしょ
うね。

という事で、「まぁ、この辺でキリのよい1日にしておこう。」と
なったのだと思います。

その推定を否定する資料は、確かに、今現在もありません。
まぁ、そんな推察よりも、純粋に紅茶の日を楽しみましょう。

でも、同じ1983年にコーヒーの日 10月1日が制定されたのは..。^^;
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                        責任編集:堀田信幸 有限会社リンアン
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