私は、この『北槎聞略』を、隅から隅まで全て調べてみました。
読んだのは宮永孝さんが現代語訳した本です。
(株)雄松堂出版 1988年発行ISBN4-8419-0053-5
茶は旅行記の部分には3か所に出てきます。(見逃しがあるかもし
れません。)これは全て、帰国のお祝いにお茶を貰った話です。
ティーパーティに招かれた記録は、とうとう有りませんでした。
しかし、これで、ティーパーティーに招かれなかったとは言えませ
ん。光太夫は、ペテルブルグの人気者だったようです。
女王は、その後もよく呼んで、話を聞いたそうです。帰国の際には
自ら、記念の品を手渡しています。皇太子や皇太孫にもよく呼ばれ
て、話をしていたようです。
6月に謁見して、9月にやっと許可が出るのですが、実はエカテリ
ーナ2世は、謁見の際にすでに帰国の許可を決めていたそうです。
それをそこまで引き伸ばしたのは、日本の情報が、欲しかったので
しょう。(推測です)そして。帰国を許したのも、日本を交渉の席
に着けるためだったのかもしれません。
と言うことで、大黒屋光太夫がエカテリーナ2世のティーパーティ
ーに呼ばれた可能性は大いにあるわけです。
ただ、それがこの日だったのかは『北槎聞略』では判りません。
ロシアにはもっと記録が残っているようですから、そうかもしれま
せんし、そうでないかも知れません。
大黒屋光太夫の研究で名高い亀井高孝さんが、昭和12年に出した本
には光太夫の手紙も入っているので、そちらに書いて有るかもしれ
ません。
そして、光太夫が最初かどうかも判りません。日本に帰ってきたの
は、光太夫が最初ですが、それ以前にも漂流民はいて、ロシアは、
将来のために、ペテルブルグや各地に日本語学校を作っています。
しかし、ここまで上流社会に入り込んだのは光太夫だけだと思われ
ますから、そうかもしれません。
と言うことで、現時点での結論としては、
「大黒屋光太夫は、エカテリーナ2世のティーパーティーに呼ばれ
た可能性は有るけれども、史実としては、確認できない。
また、大黒屋光太夫以前に、公式のティーパーティーに呼ばれた日
本人がいる可能性も否定できない。」
ということになると思います。
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