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調査前の推定
まず、私が初めに想定した推測です。
1.スエズ運河の開通によって、翌年、1870年のティーレースは中止となったのか?
当時、賭けまで行われていたとされ、国民的行事とされていたティーレースが、半年前のスエズ運河の開通ぐらいで中止となるとは、とても思えません。ましてや伝統を重んじる国イギリスです。プライドに掛けても行った事でしょう。
2.ティーレースには参加できなかったと仮定しても、紅茶を運ぶ為に作ったカティーサークは本当に茶を運ぶことが無かったのか。
スエズ運河が開通したとしても、スエズ運河は、開設に10年の年月を要している大工事です。その費用は通行料として運賃にかかるはずです。また、蒸気船は多くの石炭を必要としますが、帆船のエネルギーは風だけですから燃料は全く必要有りません。
蒸気船がエンジンや燃料などにスペースを奪われるのに対して、帆船のなかは空洞ですから、同じ大きさの船であれば遙かに多くの荷物を運べます。
と言うことは、スエズ運河を通ることの出来る蒸気船の方が、遙かに早いとしても、経済的にはどうだったのでしょうか。
通常考えれば、スエズ運河が開通して、実際に運行が始まり、数年して蒸気船の経済効果が確かめられて始めて帆船が衰退していくのではないでしょうか。
なによりカティーサークが建造されたこと自体が、経済的に帆船の方が勝っている可能性が有ると、思われていた証拠なのではないでしょうか。
と言うことでカティーサークが、一度も茶を運ばなかったとは思えません。
この写真をご覧ください。

現在、カティーサークは、ロンドングリニッジに展示され、内部を公開されています。
この写真は1998年2月に、私が訪れたときに写してきた写真です。

船倉は2段になっており、上の段の前方は、ティーチェスト(茶箱)で仕切られ、展示スペースになっています。下の段には帆船の船主像のコレクションが展示して有ります。
ここに展示してあるティーチェストは偽りなのでしょうか?。
私にはどうしてもそうは思えません。カティーサークで配られる説明のコピーには「後にカティーサーク号はオーストラリアとの羊毛貿易をするようになったので」とかかれています。(杉山ノエルさん訳)その前はお茶を運んだのではないのでしょうか。
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