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カティーサークは、 ティーレース |
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序文 「カティーサークって何?」と聞いて、「ウィスキー」と答える人は人はお酒飲み、そして「ティークリッパー」と答える人は、お茶好きです。(^^; 19世紀の半ば、中国からイギリスへ、一刻も早く新茶を運ぶ、帆船によるティーレースが行われていたと、言われています。 しかし、日本の多くの本には「カティーサークは、その1週間前に開通したスエズ運河の為に、ティーレースが終ってしまい、とうとう参加できなかった。」と書かれています。中には「茶を運ぶことさえなかった。」とまで、書かれています。 カティーサークはティーレースをしていれば、当然、茶も運んでいます。 |
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歴史的背景
しかし、そのちょうど1週間前、10年の年月をかけて建設されたスエズ運河が開通します。このスエズ運河は海運事情を大きく変えました。ティークリッパーは新茶を出来る限り早く運ぶために造られた船ですからそれ程ではないのですが、普通の輸送船は、航海日数が約1/3に減ったそうです。 話は戻って、1849年、イギリスの貿易はイギリスの船に限る、という航海条例が廃止されます。東インド会社が独占的に茶の貿易をしていた頃は、海賊の出没も有り、殆ど軍艦のような装備を持った船で、船団を組み紅茶を運んでいました。船団を組んで航海するには、一番遅い船に速度を合わせる必要があります。そうすると途中での食料補給も必要となり、立ち寄った港でまた交易をしながら航海を続けることになります。この様な時代では、半年から、極端な場合、2年くらいをかけてお茶を運んだのだそうです。 東インド会社の茶貿易の独占は、1833年に終り、イギリスの茶商が独自に茶貿易に乗り出します。当時アメリカでは、ボルティモアクリッパーと言われる高速帆船が開発され、貿易に使われていました。1849年の航海条例の廃止により、アメリカの高速帆船がイギリスの茶貿易へ乗り込んできたのです。 翌年1850年12月3日、アメリカのクリッパーシップ、オリエンタル号が1500トンの茶を積んでロンドンに到着します。この時イギリスの人達は始めて、その年に摘んだお茶を、その年の内に口にすることが出来たのです。その新鮮さに驚き、価格はプレミアが付き、オリエンタル号は、その航海だけで建造費の2/3の運賃を得たそうです。 イギリスの茶商は、愛国心もかなぐり捨てて、アメリカンクリッパーでお茶を運ぶことにしたと言われています。そこでイギリスの海運業者もティークリッパーの建造に取りかかります。こうしてティーレースが始まりました。 話を戻して、カティーサークの進水1週間前のスエズ運河の開通により、ティーレースは終焉を迎え、帆船輸送の時代から、蒸気船輸送の時代へと変わっていきます。それでは、そのカティーサークはいったいどうなったのでしょうか。 日本の多くの茶の本に「ティーレースには、参加出来なかった。」と、書かれ、ときには「茶を運ぶことさえなかった。」と書かれているのは、本当でしょうか。これが、このページの主題です。 ここで出てくる疑問は、2つ有ります。 1.スエズ運河の開通によって、翌年、1870年のティーレースは中止となったのか? 2.ティーレースには参加できなかったと仮定しても、お茶を運ぶ為に作ったカティーサークは本当に茶を運ぶことが無かったのか。 これについて検証してみましょう。 |
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