大黒屋光太夫はエカテリーナ2世の
    ティーパーティーに呼ばれたか?
---------------------------------------------
11月1日は紅茶の日です。

紅茶の日を制定した日本紅茶協会によれば、日本人で最初に公式の
ティーパーティーに出席したのは、ロシアに流れ着いて、時の女王
エカテリーナ2世に謁見し、帰国した伊勢の商人「大黒屋光太夫」
だろうと考えられている。と言うことだそうです。


はたして、大黒屋光太夫は、エカテリーナ2世のティーパーティー
に出席したのでしょうか?



大黒屋光太夫は、神昌丸と言う船で、天明2年(1782)12月13日伊勢
白子浦を出航します。そして遠州沖で嵐に遭い、漂流を始めます。
翌年7月21日アリューシャン列島のアムチトカ島に流れ着きます。
ここで、ロシアの船を待つのですが、3年待って、やっと来た船は
目の前で難破してしまいます。そこで自ら船を造ってカムチャッカ
へ、そして、カムチャッカ半島を横断して、また船に乗りオホーツ
クへ、そしてさらに真冬のシベリアを横断し、シベリアの役所のあ
るイルクーツクへと向かいます。

白子の浜を出た時は17名であったのが、多くが病気で死亡し、こ
こまでたどり着いたのが6名のみ。6年と2ヶ月の歳月が経ってい
ました。

ここで、博物学者キリル・ラックスマンと運命的な出会いをします。
ラックスマンは、光太夫が帰国するまで面倒を見てくれることにな
ります。
ラックスマンの勧めで、女王に帰国の嘆願書を3度出しますが、途
中で握りつぶされているらしく、帰国の許しが出ません。
ラックスマンの勧めも有り、首都ペテルブルグまで、女王に直訴を
するために出かけることになりました。

ペテルブルグに着いたのは、寛政3年(1791)2月19日、ここでも嘆
願書を出して、やっと女王エカテリーナ2世に謁見できたのが5月
28日。と、『北槎聞略』には書かれていますが、これは記録の間違
いで、ロシア側の資料には、6月28日となっているようです。

井上靖原作の映画「おろしや国酔夢譚」では、謁見したときに帰国
の許可が出ていますが、実際に帰国の許可が出たのは9月29日の事
でした。そして、首都ペテルブルグを出発したのが11月26日です。

ロシア船で日本に送られ、寛政4年(1792)10月根室に着きますが、
江戸幕府は基本的に漂流と言えども国外に出た者の帰国は認めてい
ません。しかし、正式の使者が送ってきては引き取らないわけには
いかず、翌年6月24日、やっと引き渡しになります。

根室に帰り着いたのは、光太夫・磯吉・小市の三人ですが、小市は
根室で病死、光太夫と磯吉の二人が江戸へ送られました。

国外の情報が一般に広まれば、幕府を倒そうという機運が高まりか
ねません。幕府は二人を軟禁状態に置く一方で、のどから手が出る
ほど欲しい外国の情報を二人から聞き出します。

その役に当たったのが、当時、ヨーロッパにも名前が知れ渡ってい
た幕府の奥医師の桂川甫周です。
甫周は、光太夫から詳しく聞き出し、『北槎聞略』としてまとめ、
幕府に献上しています。

光太夫は、詳細に記録をしています。が、現在、その所在は判って
いません。この『北槎聞略』が日本でもっとも詳しく光太夫の足跡
を記録した書物です。

で、私は、この『北槎聞略』を、隅から隅まで全て調べてみました。
読んだのは宮永孝さんが現代語訳した本です。
(株)雄松堂出版 1988年発行ISBN4-8419-0053-5

茶は旅行記の部分には3か所に出てきます。(見逃しがあるかもし
れません。)これは全て、帰国のお祝いにお茶を貰った話です。

ティーパーティに招かれた記録は、とうとう有りませんでした。



しかし、これで、ティーパーティーに招かれなかったとは言えませ
ん。光太夫は、ペテルブルグの人気者だったようです。
女王は、その後もよく呼んで、話を聞いたそうです。帰国の際には
自ら、記念の品を手渡しています。皇太子や皇太孫にもよく呼ばれ
て、話をしていたようです。

6月に謁見して、9月にやっと許可が出るのですが、実はエカテリ
ーナ2世は、謁見の際にすでに帰国の許可を決めていたそうです。
それをそこまで引き伸ばしたのは、日本の情報が、欲しかったので
しょう。(推測です)そして。帰国を許したのも、日本を交渉の席
に着けるためだったのかもしれません。


と言うことで、大黒屋光太夫がエカテリーナ2世のティーパーティ
ーに呼ばれた可能性は大いにあるわけです。

ただ、それがこの日だったのかは『北槎聞略』では判りません。


ロシアにはもっと記録が残っているようですから、そうかもしれま
せんし、そうでないかも知れません。
大黒屋光太夫の研究で名高い亀井高孝さんが、昭和12年に出した本
には光太夫の手紙も入っているので、そちらに書いて有るかもしれ
ません。

そして、光太夫が最初かどうかも判りません。日本に帰ってきたの
は、光太夫が最初ですが、それ以前にも漂流民はいて、ロシアは、
将来のために、ペテルブルグや各地に日本語学校を作っています。

しかし、ここまで上流社会に入り込んだのは光太夫だけだと思われ
ますから、そうかもしれません。


と言うことで、現時点での結論としては、
「大黒屋光太夫は、エカテリーナ2世のティーパーティーに呼ばれ
た可能性は有るけれども、史実としては、確認できない。
また、大黒屋光太夫以前に、公式のティーパーティーに呼ばれた日
本人がいる可能性も否定できない。」

ということになると思います。

文責 有限会社リンアン 紅茶専門店 TEAS Liyn-an 代表取締役 堀田信幸
    488-0837 愛知県尾張旭市庄中町1-7-2
    TEL 0561-53-8403  FAX 0561-53-8405
    E-Mail  info@Liyn-an.com

紅茶の真相ホームページ


前のページへ戻る