これは、2001年6月14日から6月25日の、インド・
アッサム・ダージリンの茶園の旅の記録です。
紅茶の
旅-1
なかなか日程
が決まらない
紅茶の
旅-7
アッサム、ジャイプール
茶園の茶摘み風景
紅茶の
旅-13
ラングリーラングリオット 製茶工場
紅茶の
旅-2
シンガポール経由
カルカッタへ
紅茶の
旅-8
アッサム・ジャイプール
茶園の製茶風景
紅茶の
旅-14
マリーボン茶園
紅茶の
旅-3
カルカッタ発
いよいよアッサム
紅茶の
旅-9
カルカッタ
ティーオークションセンター
紅茶の
旅-15
ダージリンの町
紅茶の
旅-4
アッサム
ジャイプール茶園
紅茶の
旅-10
いざダージリンへ
ラングリーラングリオット茶園
紅茶の
旅-16
ダージリンからバグドグラ
紅茶の
旅-5
初めて植えられた
茶の樹
紅茶の
旅-11
ラングリーラングリオット茶園1 紅茶の
旅-17
さようならカルカッタ
紅茶の
旅-6
アルナチャール
ブラディッシュ
紅茶の
旅-12
ラングリーラングリオット茶園2 紅茶の
旅-18
番外編 シンガポー
インド・アッサム・ダージリン茶園紀行 紅茶の旅
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2000/6/30から 『 紅茶通信 ☆ Liyn-an TEA TIMES 』に掲載している文章です。

インド茶園紀行その5

しばらくお茶を飲みながら歓談した後、服を着替えて、茶園を見学
させていただくことになりました。

マネージャーの運転で、オーナー自らが最初に案内してくれたのが、
あの、中国から輸入して最初に植えた茶樹の所だったのです。
どうしても来たかった、どうしても見たかった茶樹!。
それが今、目の前にあります。\(^o^)/

イギリスは、インドでの茶樹栽培を実施すべく、中国で茶の種を集
め、1834年にカルカッタに送り、カルカッタ植物園で4万2千本の
苗木に育てます。それをアッサムへ2万本、マドラス地区(ニルギリ)
へ2千本、北西ヒマラヤ地区へ2万本へ送り、実験栽培が始まった
のです。

私の調べた限りでは、マドラス地区へ送った苗木は、ほぼ全滅。北
西ヒマラヤへ送った苗木は、上手く育ったという話も有るのですが、
その後どうなったのか判りません。
アッサムへ送った苗木は、アッサムへ着いたときには8千本に減り、
サディアに植えられたのですが、表土の下が砂層のため、水はけの
良い場所を好む茶の樹は育たず、ジャイプールを始め数カ所に植え
替えられます。

その、まさにその、植え替えられた茶樹が目の前にあるのです。
これが、興奮せずにはいられるでしょうか。

ここに来るまでに一つの疑問がありました。
「中国から輸入した種から育てたと言っても、本当に中国種なのだ
ろうか?」

本にはあまり書かれていないことですが、実は当時、既に中国では
アッサム種からお茶が作られていました。言ってみれば、イギリス
人がアッサム種の茶樹を知らなかっただけなのです。
リンアンにはアッサム種の茶の葉のサンプルが有りますが、それは
私自身が中国雲南で採取してきた、300〜500年前の茶畑が野生化し、
生き残った茶樹の葉なのです。

アッサム種は暑い場所を好みます。一方中国種は寒い所を好みます。
ですから、「アッサムで、本当に中国種の茶樹が育ったのだろうか」
という疑問がずっと有ったのです。
「中国から輸入した種の中には、アッサム種の種も有り、それがこ
こジャイプールで育ったのではないのか?」と、考えていたのです。
それをこの目で確かめたかったのです。

その茶樹は1本だけかと思っていましたが、10m四方くらいの場所が
金網で仕切って有り、その中にある数十本の木は、全て当時の茶樹
だということでした。

はっきり言って「この木はアッサムだよ。」という木も有りました。
160年以上経っていますから、それは当然でしょう。
が、多くは中国種のようです。

「ようです。」というのは、アッサム種と中国種を分けるのは、葉
の大きさではありません。ちゃんと調べるには、花を、特にオシベ
を調べる必要があります。オシベの分かれ方、オシベに着く産毛の
生え方、詳しくは私では判りませんが、そんなところまできちんと
見なければ、ちゃんとした分類は出来ないのです。
そうやって分類をしていくと、葉の小さいアッサム種も有るのです。

とにかく、160年以上前に遠く中国から運ばれた種が、ここに根づき、
ともかくこの場所から、ブルースによって、最初のインド紅茶がロ
ンドンに送られ、インド紅茶の、そして世界を席巻するイギリス帝
国紅茶の歴史が始まったのです。

その最初の茶樹であることを証明する記念碑がこれです。


ここには、アッサム種の発見者として、ブルースとウォーリッチの
名前が刻み込まれています。
その後アッサムでの茶園開発は、極端な人手不足と風土病のため、
困難な経営を強いられ、ブルースは1841年に解雇されます。
でも、この碑は、1837年の1月に建てられたようですから、ブルー
ス自身もこの碑を見ているのでしょうね。いや、ブルース自身が建
てたのかもしれません。まさにブルースがそこにいるような気がし
ました。

オーナー、マネージャーと、御礼の握手を交わし、茶園の中を案内
してもらいます。こちらは確かにその場所に行ったというだけの証
明写真ですね。^^;  

左がオーナーのクマール氏、右がマネージャーのサッカー氏です。

この茶園は、一時見放されるくらい品質が低下した時期があります。
それを現在のクマール氏が買い取って、植え換えなどの努力の結果、
現在のような美味しい紅茶が出来るようになりました。
ここでは、基本的には50年で植え換えをしているそうです。

スリランカでは、古い木を抜いた後、害虫を無くすために2年ほど、
ハーブのレモングラスを植えます。ここでもそうなのか聞いてみま
した。が、答えは「昔はレモングラスを植えていたが、今はガテマ
ラを植えている。」「成長も早いし、この方がいいんだ。」と言う
ことでした。「ほら、あそこはレモングラスだけど、ここはガテマ
ラだよ。」と指を指してくれます。
ガテマラは、南米のガテマラ原産の草だそうです。

アッサムは古くからの田園地帯です。そして、稲は水が必要です。
一方、茶の樹は水はけの良い場所を好みます。ですから山地に茶園
が多いのです。
でも、ここアッサムでは、なんと、水田と茶園が同居しています。

そのために、アッサムでは茶畑の回りに排水溝が掘られています。
その排水溝で水を抜くことによって茶園を維持しているのです。

さらにジャイプール茶園では、低いところは排水ポンプを設置して
水を抜いていました。
排水池 ポンプ小屋 ポンプ
アッサムも土地が高くなった為、ジャイプール茶園では、低い場所 もこうやって開発しているのです。 オーナーのクマール氏は、カルカッタからいろいろなエンジニアを 茶園に連れてきては、毎晩ブレンストーミングを重ね、茶園を改良 しているのだそうです。 夜は製茶工場を見学させていただきました。 通常、茶園の製茶工場は3〜4階建てで、上の階に萎凋装置があり、 工程が進むと共に下の階に降りてくるようになっています。 が、この茶園は最も古い茶園のためか、平屋になっていて、工程間 はフックコンベア、又はベルトコンベアで茶葉を運ぶようになって いました。 この日は日曜日、もちろん製茶工場もお休みです。ひととおり工場 を見学して、テイスティングルームに入ります。 オーソドックス製法、CTC製法の紅茶を数種類づつテイスティン グです。 (画像が横向きですね。(^_^;) オーソドックスはストレートでテイスティングしますが、CTCの 場合は、インド国内のチャイの需要が中心のため、ミルクテストが 重要な要素となります。 私もテイスティングしましたが、水のせいか、はたまた茶葉の品質 のせいか、リンアンで飲むジャイプール茶園の紅茶の方が美味しかっ たです。 工場見学の後は、シャワーを浴びてから、オーナーの部屋でアッサ ム地ビール(アッサム限定販売って、英語で書いて有りました。けっ こう美味しい。)を飲みながら、2時間くらい、ゆっくりと会話させ ていただきました。プライベートな話から、日本はどうしてそんな に工業が発展して経済大国になったのか、なんて話まで。(^_^;) さて、やっと夕食です。 インドの食事は、日本と3時間くらいずれています。朝食は一仕事 終わった10時頃、昼食が3〜4時、夕食は10時半頃にとって、 食後にすぐ寝ることになります。 食後のデザートはライチ。それも、もぎ立てのライチです。 オーナーのクマール氏がライチ好きで、庭に植えて有るのです。枝 ごと取ってきて、そのまま食卓へ。新鮮この上なく、冷えていなく ても充分おいしいライチでした。 いつも思うのですが、どこの茶園でも、設備が悪くても、ベッドメー キングとタオルはちゃんとしています。それこそ一流ホテルに負け ないくらいに。ジャイプールでも厚いタオルとぐっすり眠れるベッ ドが準備されていました。ではお休みなさい。

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