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アッサム・ダージリンの茶園の旅の記録です。 |
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2000/6/30から 『 紅茶通信 ☆ Liyn-an TEA TIMES 』に掲載している文章です。 インド茶園紀行その4 さて、飛行機は、無事、ディブルガール飛行場に着地しました。 でお気づきでしょうか。カルカッタでも、シンガポールでも「空港」 と表現していましたが、ここでは「ディブルガール飛行場」^^; そうなんです。ここはまさに「空港というより、飛行場。」(^_^;) 滑走路の脇に、小さな平屋の、田舎の駅舎のような建物がひとつ、 ポツンと建っているだけなのです。 「これは、話のタネに写真を撮らねば。」とカメラに手をやると、 「ダメ、ここは写真は禁止です。」と、オーナーが静止しました。 本当にのんびりした所なんですが、やはりここは紛争地帯なんです。 紛争地帯の常として、飛行場は重要機密の一つですから、写真は禁 止なんですね。 その紛争地帯を思わせることがまた一つ。 インド国内の移動にもかかわらず、ここでは、外国人はパスポート がチェックされ、申請書に記録しなければいけないのです。 現在は必要無くなりましたが、7年前に松下先生が調査に来たとき には、インドに入るビザ以外にも、ここへ入るだけの特別なビザが 必要だったのが、このディブルガール地方なんです。 駅舎のような建物の中もですが、建物を出ても、兵士がライフルを 構えて警備をしています。 飛行場には、茶園マネージャーのサッカー氏が、直々に迎えに来て くれていました。が、私の荷物が大きくて、車に乗れない。(^_^;) もう1台の車を手配している間、のんびりと辺りを見回していると、 突然、兵士たちが帰ってしまいました。 結局、警備が厳重だったのは、要人の送迎に来ていたんでしょうね。 でも、そう言うことは、テロに逢う可能性も高かったと言うことで すが。(^_^;) サッカー氏の運転で車は走り始めます。町を抜けると田園が広がり ます。所々、田園が茶園に変わります。 そして、所々塔が立ち、火を吹いているのが、油田なんですね。 アッサムはインドの重要な油田地帯です。その原油と天然ガスは、 インド全体の約15%を賄っています。 そして、もうひとつどこでも見かけるのが「牛」。(^_^;) インドの人は、本当に牛を大切にします。牛を飼う人は非常に多い のですが、ミルクは搾っても、けっして牛の肉を食べることは有り ません。そして、当然のごとく放し飼いです。 かくして、田圃だろうと、茶園だろうと、道路だろうと、所構わず 牛が闊歩することになります。ふと立ち止まって、辺りを見回して、 牛の見えない場所が有るんだろうか?。アッサムではそんな気さえし てきます。^^; 牛さえいなければ、30年ほど前の、日本のどこにでもあるのんびり とした田園風景。そんなほっとする場所がアッサムでした。 そんな風景の中を小1時間、車は走り、ジャイプール茶園に到着し ました。憧れのジャイプール茶園です。 何故?、この茶園が私の憧れなのか。 19世紀初旬、既に紅茶はイギリスの国民的飲料になっていました。 が、その全ては中国からの輸入に頼るしか有りませんでした。しか し、中国はイギリスから輸入したい物は一部の贅沢品の工業製品だ けで、茶の輸入に相当するだけの輸出品がありません。 そのことがイギリスから中国への大量の銀の流出を招き、代わりに イギリスの植民地だったインドでアヘンを大量生産し、中国に密輸 を始めます。 これがアヘン戦争が始まるきっかけになるのですが、そんな頃にイ ギリスは自らの手で、イギリス領のインドで茶の生産を計画します。 そんな茶生産熱の高まりの中、ブルース兄弟がアッサムで自生の茶 樹を発見するのです。 実は茶樹を発見したのはブルースだけではありません。多くの人が、 茶樹発見の報告を行っています。が、閉鎖的な中国のために、西洋 人に茶樹を詳しく知る人がいませんでした。茶樹は中国だけの物で あり、アッサムに自生しているとは信じられていませんでした。 また、アッサム種は葉が大きいため、同じ茶の樹とは思われません でした。 ブルースにしても、2度目に茶樹と一緒に製茶したお茶を送って、 初めてカルカッタ王立植物園のウォリッチ博士に信じてもらえたの です。 このことをきっかけに、アッサムで、実験茶園が作られます。 最初はジャイプールでなく、サディアに、1834年に中国から輸入し た種から生えた茶樹が植えられます。しかし、表土の下が砂層だっ たために、上手く成育せず、1836年、当時の軍本部があったジャイ プールを始め、各地に植え替えられます。 その最初の茶樹が残り、ブルース自身が管理をしていた茶園が、こ のジャイプール茶園なのです。 1838年、ブルースは最初のお茶をロンドンオークションに送り、翌 年、そのお茶は非常に高い値段で競り落とされます。(この時は、中 国から輸入した茶の樹はまだ小さく、自生のアッサム種の葉で製茶 されたようです。) ここに全世界を席巻する、英国帝国紅茶の歴史が始まりました。 まさに、その場所に、本でしか読んだことのないブルースや、ウォ リッチの息使いが聞こえそうな場所に来たのです。 厳重に警戒された扉を3度くぐり、車はマネージャーバンガロー(マ ネージャーの宿舎を,こう呼びます)の前に止まります。 中に招き入れられ,風通しのよいテラスで、まず出てきたのはぁ. ..。 コーラでした。(^_^;) ちょっと話をしているうちに、思い出してリンアンでパックしたジャ イプール茶園のお茶を、オーナーにお見せしました。 リンアンのパッケージは、オーナーにも非常に喜んでいただけたよ うです。特にナイロンメッシュのティーバッグは興味を持っていた だけました。 「CTC は扱わないのか。」「リンアンの場合はオーソドックスの方 が好みなんですよ。」と、話しているうちに、「じゃ、あの茶葉を 持ってきなさい。」と、サーバントに指示して出てきた茶葉がぁ..。 一目見ただけで惚れ惚れするような、ゴールデンチップの非常に多 い、まさに輝くような紅茶だったのです。 この美味しさは、一目見ただけで充分に分かります。香りをかいで みましたが、見た目にたがわない素晴らしい香りです。 ポットで淹れていただいたのですが、圧倒されるような美味しさ。 こんなアッサムも有るんですね。 この茶樹は、増やし始めたばかりで、まだ27Kgしか製茶できない ということでした。そして、その全量がドイツに輸出されているそ うです。買えるものなら、どんなことをしても欲しいのですが。 (T^T) 「5年後には、この木が2倍に増えるからね。」そうなんですね。 茶樹を植えてから、茶摘みが出来るまでには時間がかかるのです。 でも、何とかして手に入れますからね。時間がかかっても。絶対に。 |